昔から、酋長(ali’I アリイ)や王族だけが身に着けられるレイがありました。たとえば鳥の羽のレイ(lei hulu)や、酋長の髪の毛の束に下げた鯨の歯のレイ(lei niho palaoa)などです。金属のなかったハワイには、金や銀のような貴金属でできた飾り物はもちろんありませんでした。白人の到来で貴金属品がハワイにもたされ、舶来品は歓迎されました。

ハワイの宝石産業の始まりは、リリ・ウオカラニ女王に関係があります。1838年に生まれたリリ・ウはアメリカ人教師から教育を受けましたが、アメリカよりもイギリスのあらゆる物に興味を持ち、ビクトリア女王を尊敬していました。夫アルバートが1861年に亡くなった時、リリ・ウは喪中ブレスレットを作らせました。イギリスとハワイのスタイルで出来上がったそれが、今のHawaiian Heirloom Jewelry(ハワイアンジュエリー)の由来になっているそうです。1887年のビクトリア女王在位50年記念祭に、リリ・ウ王女とカラーカウア王の妻カピ・オラニ女王が出席し、金のブレスレットを贈られました。リリ・ウオカラニ王女はロンドンのアレクサンダーホテルでビクトリア女王を誉め讃える歌「Queen’s Jubilee(女王の記念祭)」を作曲しています。その記念祭の写真や、亡くなるまでのさまざまな写真を見ると、彼女が多くの美しい宝石を集めていたことがわかります。
カピ・オラニ女王も素晴らしいブレスレットを持っていました。1881年の新聞にこんなメレが載っていました。「He Inoa Apo Lima O Kapi’olani(カピ・オラニ女王のブレスレットを讃える歌)」では、“それが手に輝き、貴金属でできている。(中略)あなたのブレスレットはマウナケア山を覆う雪のように輝き、(省略)グンカンドリの赤い胸に似ている”という歌詞が出てきます。同じ年に「He Komo Lima No Kapi’olani(カピ・オラニ女王の指輪)」というメレも載っていて、この指輪はロシアで作られました。
「Mai ‘Italia Kou Lei Nani(あなたの美しいレイはイタリアから来ました)」という曲は、カピ・オラニ女王のネックレスと冠を歌ったメレです。それらはフランス人によって作られ、南半球の三本マストの蒸気船によってハワイに運ばれたとあります。“ダイアモンドのきらめきは稀な美しさのように見える。太平洋の上の流れ星のように見える”と、その美しさを讃えています。
ジュエリーのことをハワイ語でlako kulaと言いますが、lako kulaには学用品の意味もあります。面白いですね。
Mai ‘Italia Kou Lei Nani
Mai Italia ko lei nani あなたの美しいレイ(冠)はイタリアから来た
O ka opu’u liko o ke kalaunu. カラウヌの芽(=ダイヤ)が光っている
Ua hana no’eau ia e Palani フランス人によって上手に作られ
Kinohinohi lua ke ‘ike aku, 二倍にきらめいているように見える
Ka alohi o ka nani o ke kaimana, ダイアモンドのきらめきの美しさは
Mea e o ka nani ka’u ike. 稀な美しさのように見える
Me he ala o ka hoku welowelo 流れ星のように
Ma ka ili kai o ka Pakipika. 太平洋の上で
Ke lawe ia la e ke kiakolu, 三本マストの船に運ばれ
E ka laina moku ahi o ka hema. 南半球の蒸気船に
Ku’u ia la i pau pono ko nani あなたの美しさが完璧になるためにもたらされ
A i la’i ka nohona a o ka wahine 女が暮らしに満足するように
A i ike mai ai ko lahui, あなたの国民が見ることができるように
A i ko la nui, hao a pa’ihi. 大切な日にあなたがとても美しく着飾っている