コラムコラム

第1回 ハワイとの出会い

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1979年1月、留学のため3月間滞在しに来ました。はっきりとは覚えていませんが、当時1ドル290円ぐらいだったと思います。高校卒業後、親にお金を出してもらえる身分でもなかったので、学生ローンの保証人だけなってもらいました。若いうちの苦労は買ってでもせよ!といいますが、ホントだと思います。そして、反対しなかった家族にとても感謝しています。

高校時代サーフィンブームで、映画ビックウエンズディーのジャンマイケル・ビンセントに憧れ、毎週末第三京浜、横浜新道の移動中は、いつもカラパナやC&Kを聞き、湘南鵠沼海岸の、今はなき東急レストハウス前というポイントで、サーフィンをしてハワイに憧れを抱いていました。父がまた英語を話せたため、外国人のお客様も多く家に訪れ、幼い頃から、英語を話すことや海外への憧れもありました。

マリオットホテルで行われたアンティ・ジェノアのライブにて、フラ・シスターと踊る。

 

私の家でハウスウォーミングパーティーを開催した時、クム・ナラニと2人で踊りました。

 

 

そんな私がハワイに初めて来た時、こんな素敵な場所で仕事をしながら生活できたら良いな~と、夢のように思っていました。その後、ひょんなきっかけからハワイに住むチャンスができ、アメリカと日本を行ったり来たりの生活がしばらく続いた後、97年からハワイベースの生活が始まりました。

住み始めた時にこれで3度目のチャンス、何かハワイに住むための目的がなければと思い友人を通じて、フラに出会うきっかけを頂きました。

それが今では、生活すべて。

そしてまたラッキーなことに以前やった仕事『太陽に吠えろ!』や『スタードッキリ丸秘報告』など、ハワイ撮影のコーデネーターをさせて頂くようになりました。
日本のフラ人口は約35万人といわれていますが、私もその1人です。そのおかげで、CD制作、TVの番組、雑誌、CM広告のお仕事が多くなっています。

私自身もハワイの文化を汚さぬよう、日本人として恥ずかしくないよう謙虚に学んで生きたいと日々思っております。
私は日本でフラを習ったことがないので日本の状況は分かりませんが、私なりに先生からの教えを、日本のフラ好き、ハワイ好きの方々と、分かち合いたいと思います。乞うご期待!