コラムコラム

第3回 ラナイ

2015.01.29 ハワイの地名
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マウイ島の西側に浮かぶ小さな島、ラナイ。ラハイナやカアナパリの海岸からも見えるから、目にしたことのある人も多いだろう。ところが実際にラナイ島まで行ったことのある人は少ない。人口3000足らずのこの島は「ハワイでもっとも静かな土地」として知られる。ホテルは3つしかなく、うちふたつは超高級で、なかなか気楽には泊まれない。日米の富裕層が、人気のない美しいビーチでのんびりしたり、立派なゴルフ場でのプレーを楽しんだりしながら、ゆったりとバカンスを過ごすところだ(したがって当然ぼくは行ったことがない……)。

この美しいラナイ島には、紀元1500年ころまで人が住んでいなかったという。悪霊がはびこる恐ろしい島として敬遠されていたそうだ。そこにマウイの王カカアラネオの息子カウルラアウがやってきた。彼はいたずらな男で、父親のパンの木々を破壊したために、罰としてラナイに追放されたのだったが、見事に悪霊を退治したのだった(メアリ・プクイとサミュエル・エルバートによると「ラナイ」はもともと「征服の日」という意味合いだそうだが、それはカウルラアウによる悪霊退治を指すのかもしれない)。その後、マウイ島の人びとが海を渡り、この豊かな島で生活を送るようになったという。

18世紀には、ラナイはモロカイ、マウイ、オアフ、カウアイとともに、カメハメハ一世の最大のライバルであったカヘキリの権力下にあった。しかし広く知られているように、カヘキリの死後の混乱に乗じて、カメハメハ一世はカウアイ以外の島を一気に手中に収めた。カメハメハはラナイの美しさに感動し、カウノル湾に家を建てたという。
ハワイ王朝成立後、ハワイの島々には移民が増え、サトウキビ産業や牧畜業が発展した。ラナイも例外ではなく、牧場やサトウキビ農場がもうけられたが、どれもあまり成功しなかった。他島と比べると、静かな日々が続いていた。

ラナイ島がいちじるしく変化したのは、1922年にジェームズ・ドールが島を購入し、パイナップル農場を始めてからである。ハワイ共和国初代大統領・アメリカ合衆国ハワイ領初代知事のサンフォード・ドールの親戚でもあったジェームズ・ドールは、巨費を投じてラナイでパイナップル農場をはじめ、大成功をおさめた。ラナイ島のドール・パイナップルは世界的に知られる産物となった。
ラナイは小さな島だけれども、その歴史と文化の興味深さは他島にひけをとらない。ぼくはいつかお金を貯めて、ゆっくりと高級リゾートホテルに滞在して島をゆっくりとみてみたいと夢見ている。