日本からハワイを訪れる人の数は毎年150万ほど。以前のハワイ観光といえばワイキキ・ビーチが定番だったが、いまではオアフ島のほかの地域や、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島のリゾートにも多くの日本人観光客が訪れるようになった。
しかしほとんどだれも訪れたことのない島がある。カウアイ島の西に浮かぶニイハウ島はロビンソン家の私有地であり、原則として観光客は立ち入ることができない。近年はヘリコプターで同島を訪れるツアーが行われるようになったが、上陸が許される人数は非常に限られているし、島のごく一部を見学できるに過ぎない。
観光が主要産業であるハワイ州において、ニイハウは「忘れられた島」とすら形容される。しかしこの小さな島も、ほかの島々と同様にハワイの歴史に重要な役割を果たしてきた。ここはカメハメハのライバルであったカウムアリイをはじめ、さまざまな戦士を生んだ島であった。古くからネイティヴ・ハワイアンのコミュニティがあったから、遺跡も多く残されている。
ニイハウ島はハワイ王朝が誕生した後には王の所有物であった。しかし1864年にカメハメハ5世が友人であるマクハチソン・シンクレア兄弟という、ニュージーランドから渡ってきた白人の移民に1万ドルで売ったのである。以来、この兄弟の子孫がニイハウ島を受け継ぎ、今日はロビンソン家が管理している。
レイが好きな人であれば、「ニイハウ・シェル」を知っているかもしれない。これはニイハウ島でしかとれない、小さな貝殻を使ったレイである。ピンクを主とした美しいレイであり、制作にたいへんな労力がかかるために、今日ではずいぶんと高価である(ハワイの法律では「ニイハウ・シェル」と呼ばれるものはニイハウ島産の貝殻を使うことが義務付けられているが、実際には異なるものもあるので要注意)。今日ではこのレイがニイハウ島の主要産業のひとつとなっている。
しかし長いあいだニイハウ島の経済を支えていたのは牧畜だった。19世紀後半から牛などの放牧が行われ、多くのネイティヴ・ハワイアンが「パニオロ」(カウボーイ)として活躍していた。しかしハワイの農産業が衰退するなか、ロビンソン家の牧場も1999年には閉鎖を余議なくされた。残されたハワイアンの従業員とその家族は、ニイハウ島に居住することは許されているが、かなり困難な経済状況に陥っている。カウアイ島をはじめ、ほかの島へ移住する者も少なくない。2000年の調査では、島の人口は160人にまで減っている。
このように、ニイハフは他島と比べると小さいし、人口もきわめて限られているが、ハワイ文化にとってきわめて重要な地であるとされている。上に述べたように、ここは歴史的に大切な島であったうえに、今日の住人が他島では忘れられた伝統的な生活を守っているのだ。今でも住人の大半はハワイ語を日常的に使用している。ハワイの音楽やフラもたいへん盛んである。島の所有者であるロビンソン家もハワイアンがハワイ語やハワイ文化を維持することを強く奨励している。もはやほかの島では見られないハワイの伝統が脈々と受け継がれているのだ。