コラムコラム

第7回 オアフ島

2015.01.29 ハワイの地名
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「オアフ」は「人びとの集まるところ」を意味するとよく説明される。確かにオアフはハワイ州でもっとも人が集中している島で、海外からの観光客も圧倒的に多い。しかしハワイ語地名の権威であるプクイ、エルバート、モオキニは、その訳は誤りであると指摘している。昔のオアフはハワイ島やカウアイ島ほど人口がいなかったし、文法的に考えてもこの解釈はおかしいとかれらは主張している。ハワイの多くの地名がそうであるように、オアフという名の正確な語源はわからないのだ。
ハワイを統一したカメハメハ一世はハワイ島の生まれで、この東端の島から西に向かってハワイ諸島を征圧していった。ラナイ、マウイ、モロカイなどを支配下におき、オアフ島に一万人とも言われる軍勢を率いてやって来たのは1795年のことだった。カメハメハ軍は敵のカラニプクレの軍をヌアヌの崖においつめ、圧倒した。カラニクプレの兵士たち何百人もが崖から突き落とされ、命を落としたといわれている。(今日、ヌアヌの崖は観光名所ともなっている。晴れた日にはオアフ島の北東部が眼下に広がる、壮大な光景が満喫できる。)
オアフ島随一の都市といえば当然ホノルルであるが、その昔、今日のホノルルのダウンタウン地区は湿気が高く、人が住むには適さないとみなされていた。しかし1794年にイギリス人のウィリアム・ブラウンによりホノルル港が「発見」されて以来、いっきに来航者が増え、人口も増えていった。だからカメハメハ一世と二世はハワイ島のカイルアとマウイ島のラハイナに加え、ホノルルを行政の中心地とした。1850年になるとカメハメハ三世が正式にホノルルをハワイ王朝の首都として、王朝政府の行政すべてがここで行われるようになった。やがて王が住む立派なイオラニ宮殿が建てられ、ハワイ王朝転覆時には白人住人のクーデターの中心舞台にもなるのであった。今日ではハワイ州の人口の7割以上にあたる約90万もの人が住む都市となっている。
オアフ島にはハワイの歴史と文化にゆかりのある土地が多くあり、フラのメレにもよく登場する。例えばハワイ大学本校があるマノア。雨の多い渓谷にあるマノアは緑豊かで、虹が美しい。あるいは昔からハワイの王や貴族のサーフィンスポットとして人気のあったワイキキ。今日は「真珠湾」(パールハーバー)として知られているが、もともとはハワイアンの魚の養殖池がたくさんあったプウロア。ハワイ好きにはすでに行き尽くされた感すらある島なのかもしれないが、実はとても奥深い。ゆっくりと丁寧に見ていけば、多くを学べる島でもある。