コラムコラム

第11回 湘南ハワイ

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1981年の茅ヶ崎パーク下からのサンセット1980年代、茅ヶ崎海岸のシンボル的存在だったパシフィック・ホテル前のビーチでいつも波乗りをしていた。

僕がこの場所を選んだのは人が少なく、ホテルの駐車スペースに気がねなく車を止められたのが理由だった。現在、このホテルも取り壊され分譲マンションになり、4車線に拡張された134号線はスピードアップとともに昔のノンビリとした雰囲気はなくなってしまったのは寂しい限りだ。

当時、湘南の海は僕にとって非日常を感じられる特別な場所だった。父が鎌倉出身なので子供の頃から十分馴染んでいたはずなのに、サーフショップ、マリーナ、レストランなどの日本離れした景観やサーフショップの店名、外観に至るまでハワイ、カリフォルニア、バリなどの異国情緒漂うトロピカルな雰囲気が、魅力的で僕はこの湘南が大好きだった。

ある作家が小説の中で、湘南はカリフォルニア、ハワイと太平洋でつながっていると書いていた。カリフォルニアの人達は昔から南の楽園ハワイに憧れを持っていたと聞く。 ‘ハナレイ・ホテル’、‘バリハイ・レストラン’、‘ロイヤルハワイアン’やハワイをイメージしたレストラン&バー、ショップには、本場ハワイ以上にハワイやポリネシアをイメージして作られたものが沢山ある。

カリフォルニアで1940年代からアロハシャツが数多く作られていたのも、ハワイへの憧れがあったからだろう。寒いカリフォルニアの冬でもアロハシャツを着ていたい人達は、ベースボール用のアンダーシャツを着て、その上に半そでのアロハシャツを着ていた。これが70年代のカリフォルニア・スタイルだ。

僕も当時、ハワイ、カリフォルニア、湘南、この3つの場所に‘サーフィン’という共通のイメージを抱き、湘南と共にハワイとカリフォルニアにあこがれていた。

湘南で波乗りをした後は、道路沿いに並んだパームツリーがLAのビバリーヒルズのような雰囲気漂う逗子マリーナに出掛け、外国気分を味わい、夜は134号線を‘クリス・モンタン’や‘ポール・デイヴィス’など、夜が似合うAORをカーステレオで流しながらドライブ。そして葉山にあるまるで海の上に建っているかのようなレストランでディナーをとる。または、横浜あたりまで足を延ばし、パームツリーやフラミンゴのネオン管で雰囲気たっぷりのアメリカン・トロピカルなバーへ通った。

部屋のインテリアも、トロピカルな雰囲気にしたくて、パームツリーなどの観葉植物にフラミンゴのランプ、サーフィンの神様、ジェリー・ロペスのポスターを飾っていた。

月日が経ち、湘南のイメージも最近ではずいぶん変わってきたように思う。 ハワイ語の名前のついたローカル風レストランやハワイの物を扱う雑貨店が増え、フラやウクレレをやっている人も多くなり‘湘南ハワイ’と言われるようになってきた。以前はメニューにはなかったロコモコも、湘南では定番メニューになり嬉しい限りだ。

夏にはフラやハワイアン・ミュージックのイベントも頻繁に行われるようになってきた。大規模な野外のハワイ・イベントが行われ、ハワイ好きに限らず多くの人達が集まる。湘南の海でシェーブアイスを食べながらハワイアン・ミュージックを聴く。そんなイメージの‘湘南ハワイ’は、今年の夏も盛り上がりを見せるだろう。でも、やはり、僕は以前のようなのんびりとした、無国籍風トロピカルな雰囲気の湘南が好きだ。だから今でも、当時のスタイルは守り続けている。